久佳乃Blog

読書

晴耕雨読な生活

晴れた日には田畑を耕し、
雨の日には家にこもって読書をする。

晴耕雨読という言葉を
私はけっこう幼いころから
知っていたような気がします。

きっと、農家に生まれたからでしょう。
祖父や祖母が自然とそうしているのを見てきました。

毎朝、早くから田畑へ出かけ
ひと仕事を終えてから、朝ご飯をいただくのが
祖父と祖母の一日のはじまりでした。
子供ながらに寝坊をすると
なんだか怠けているような気持ちになったものです。

朝ご飯は自分たちの作った白いご飯に
祖母の漬けたお漬物。
夏には畑で採れた夏野菜が食卓に並び
冬には冬の野菜が並びます。

朝食をいただいた後は、熱いお茶をゆっくりいただいて
それからまた、お日様が頭の真上にくるまで
祖父と祖母は田畑で体を動かし続けます。

学校へ上がるまでの私の幼少時代は
そんな祖父と祖母の後をついていくことに
小さな胸を高鳴らせる毎日でした。
田畑のさまざまなものが目に映り、
触ってみたいものでいっぱいの自然がそこにありました。

祖父と祖母の農作業が、私にはまるで遊びのように感じられました。
本人たちからしてみれば、老いてくる体には
ますます重労働になっていく田畑の仕事だったかもしれません。
でも、きっと、そうではなかった、と私は思います。
なぜならば、祖父と祖母は心から農業を楽しんでいました。

夕ご飯の用意ができた、と
母が私を田畑へ行かせることが度々ありました。
まだ外で働いている祖父と祖母を呼びにゆくためです。
もうお日様も西の山へ沈み、手元も見えないほどの薄闇の中、
祖父と祖母のシルエットがかすかに見えます。

おじいちゃーん、おばあちゃーん、ごはんだよー。

小さな私の体から、小さな楽器なりの声が田畑に響きます。
祖父は、あいよ、とばかりに手を休め、こちらへ向かってきます。
祖母は、もうちょっと・・、とばかりに手を動かし続けます。
私は祖母の耳に私の声が届いていないのでは、と
もう一度、大きな声で祖母を呼びました。
もう少し、もう少し、と祖母が田畑をいじっている姿を見て
ああ、おばあちゃんはこの仕事が好きなんだなぁ・・
と子供心に思ったものです。

そんな祖父と祖母にとって、
雨の日は体を休める日、そして、
雨の日でなくてはできないことをする日でした。
いつか調理の下ごしらえをしようと採っておいた
たくさんの山菜を脇に置き、ひとつひとつ丁寧に洗ってゆく祖母。
雨の降る田畑へ出向き、水の流れを確認する祖父。
縫い物をする祖母。
道具の手入れをする祖父。

雨の日はこうやって過ごすものなのだ、
ということを自然と眺めている私でした。

祖父を祖母は亡くなってしまいましたが
晴耕雨読な生活は、都会に出てきた今の私の体の中にも
しっかりと鮮明に感じられます。
今の生活も、晴耕雨読に過ごしているとき
とても自然に時間が流れるように感じられ、
晴耕雨読を忘れてしまっているようなときは
体や心が疲れているような感じがします。

私たちは古来から農作業をしてきた日本人。
農業には、私たちの今の生活を潤わせてくれる
やさしくて、神秘的な知恵があるように思われます。
歳を重ねれば重ねるほど、
祖父と祖母が静かに生きた生活に
こうして癒されていることを思い知らされるのです。

かけがえのないものをもらっているんだな、
晴耕雨読な生活は、私を現代に活かしてくれています。

2009.07.03 | 読書


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