自然に呼吸を教えてもらう〜自然から学ぶヴォイストレーニング〜
先日信州の実家に5日ほど帰省してまいりまして
つくづく自然はいいものだと実感してきました。
森や山の近くにいると、自然の呼吸が伝わってきます。
風はなぜ吹くのか、雲はなぜ浮かぶのか、
空がなぜ蒼いのか、水はどこからどこへ流れてゆくのか...
そういったことがよおくわかるのです。
ますます、ゆくゆくは自然の中にいる(住む)時間を
長くしたいという気持ちが強くなりました。
自分が今まで、どれだけ自然からエネルギーをもらってきたのかを
本当に強く実感することが出来たのです。
花は太陽が西の山に隠れると花びらを閉じますし、
東の山に太陽が昇ると花びらを開きます。
玄関の前に咲く小さな花たちのそんな様子を目の当たりにしたとき、
当たり前だと思っていたことを
自分が忘れていたことに気づかされます。
ときどき呼吸の仕方を忘れてしまうという方がいらっしゃいますが
きっとこうした自然の営みから少し距離ができてしまったときに
起こることではないかと思います。
当たり前が当たり前でなくなる感覚は誰にでも起こることで、
当たり前っていったい何?という議論が起こるのも自然なことです。
ただ私は忘れたくはないのです。
どれだけ自然から恩恵を得て今日まで呼吸をしてきたかということを。
私たちは人間という自然です。
今、この地球上にあるものは全て自然から作られたものです。
人の手が加われば加わるほど、自然は自然でも人工物になっていきます。
自然と人工物という両極端の違いは、
息をしているか、していないかではないでしょうか。
一日を通して太陽の位置が変わることで自然の営みが変わるように、
環境が変わったときは、人工的に変える(手を加える)のではなく
自然に変わることができるというという状態が
私たちをとても自然に近い状態にしてくれるのではないでしょうか。
まるで、植物たちと同じように、とっても楽にです。
私はそんなヴォイストレーニングを志しています。
日常生活の他のことでは、すべてを自然に近い状態で行うことは
たいへん難しいことです。
だからこそ、声を出すとき、歌うとき、音楽を奏でるときに
自然にとっても近い行為をしたいのです。
それでバランスをとっているのです。
皆さんの志すものがなんであってももちろんいいのです。
ただ、どうしていいかわからなくなったときや
自分を見失いそうになったときは、まず自然に帰って深呼吸をしてみてください。
呼吸は極めるとたいへん面白いものです。
驚くほど長く、息をすることができます。
長い息ができるということは、深い呼吸ができるということ、
そして、非常に自然の状態でいられているということです。
非常に自然の状態でいられているとき、きっとあなたは
今あなたに必要なものを見つけることができるはずです。
それと同様に、必要でないものも見つけることができるはずです。
手を加えるということは責任をとるということですから
自分の本当に求めているものがわかったとき、手を加えるときは
細心の注意と覚悟が必要です。
そうなのです、手を加えるときには先見の明が必要なのです。
少し話が一方へ深くなりすぎました。
では、深呼吸が難しいときはどうしたらいいですか?
どうぞ、どこでもいいです。
大自然の中に出かけてみてください。
自然は本当に素晴らしいものです。
いつでも、どこでも、私たちが受け入れようと思えば
受け入れられるだけのエネルギーを与えてくれます。
人は自然を嫌うものでもありますから、受け入れようという気持ち、
自分を委ねようという気持ちが必要です。
少し勇気も要りますね。
今日は久しぶりにブログを書きました。
少しでも共有できることがあれば嬉しいです。
それではまた♪
2010.08.13 | 声について想う
呼吸について深く考えてみる
猛暑が続いておりますね。
皆さん、くれぐれもお体にはお気をつけて
毎日をお過ごしくださいね。
さて、今日は呼吸について日頃感じておりますことを
書かせていただきたいと思います。
私事ですが、先月からブログの更新が減ってきております。
過去の更新履歴を見ましても、頻繁に更新がされているときと
更新が滞っているときとあります。
長く続けていればそういうものだろう、と感じればそれまでなのですが
面白い発見をしています。
何らかの表現方法も、実は呼吸と同じ。
「一度吐いたら、吐く前には吸わなければまた吐けない」ということです。
何を言いたいのだろう??と思われている方もいらっしゃることでしょう。
これは自分の過去の行動と結びつけて得られた経験から
わかったことなのです。
例えば最近のことですが、私は先々週から
あるカルチャーセンターに通い始めました。
クラスは文章を書く教室です。
ひと月前から入会を決意しておりましたので
頭の中は「何を書こうか?」という思いでいっぱいになりました。
文章を書くことが目的のクラスですから
毎回原稿を提出することになっています。
だから、初めての日には書いた原稿を持参して
出席しなければなりませんでした。
本来そうであるべきように、参加するまでには
きちんとした準備がいるのです。
原稿を書くまでにはとっても時間がかかりました。
400字詰め原稿用紙を10枚前後までという制限は
私にとって初めての量だったので、まずは文章の書き方の本を
手当り次第に買って来て読みました。
呼吸で言えば、吸っている状態のことですね。
でも、吸うだけ吸ってみてわかりました。
いくら吸っても、そもそも文章を書くという行為で
吐けるだけ吐いていない(書けるだけ書いていない)ので
吸える(書くことに対しての知識を得る)量は
限られているということに気がつきました。
そこで、やっぱり書くには書くことでしかわからないことがあると
自分ができる範囲で実際に書くことに行動をシフトしました。
書き慣れていないので、書いては置き、また書いては置き、
その都度テーマを変え、趣向を変えしてひと月を過ごしました。
限られた時間の中で、吐けるだけ吐いたのです。
提出するための原稿を書けるだけ書いている間は
ブログを更新をすることに気がゆかず、ひたすらパソコンに向かって
原稿を書いていました。
身体はひとつしかありませんから
「どこかで思い切り吐いているときは、息を潜めているように見えることもある」
のですよね。
だから、例えば「最近あの人テレビに出て来ないよね」
というような場面でも、その人はどこかで
今まで吐いてきたものを取り戻すように
人目のつかないところで息を吸っているか、
もしくは分野を変えて新しい自分を表現して吐いているか、
どちらかだと感じるのです。
先日、学校の講義で「ヴォイストレーニングクイズ」というのをしました。
そこで、こんなクイズを出してみました。
呼吸の「吐く」と「吸う」では
どちらのほうが優先順位が高いか?
80パーセントの学生たちが「吸う」ほうが優先だと答えました。
なぜ?と尋ねると理由は「吸わなければ吐けないから」だそうです。
確かにその通りです。
ですが、私はこれらの反応に出会い、
みんな、息詰まっているのだなと切なくなりました。
安心して自分の持っているものを思いきり表現する、
思いきり吐ける環境になっていったらいいと思います。
いえ、自分でそういった環境を作ることができるよう
自信を持って吐いて、吐いていきましょう。
吸いたかったら、吐く。
今あるものを解放してみる。
人生は呼吸と同じ。
呼吸の仕方は、人生の生き方にそのまま反映されているような気がしてなりません。
私もそれを思い出しては、必要な時は勇気を持って吐くこと、
吐けるだけ吐いて、また新しきを吸ってを繰り返していきたいと思います。
2010.07.24 | 声について想う
素敵な歳のとり方
今日は休日でした。
夫と二人でちょっとしたものを買いに出かけるところでした。
玄関先で夫が足の悪い祖母に
「おばあちゃん、なんかいるなら買ってくるよ〜!」
と声をかけました。
すると、祖母は使い慣れた土佐弁で
「おばあちゃんは、なんちゃあいらん。
どおっーさりと、なんでもある」
と元気な明るい声で答えてくれました。
素敵だなぁ、と思いました。
私もおばあさんのように、90歳近くになって
「もうなんでもいっぱい持っているから、なんにもいらない」
と心から思えるようなおばあさんになりたいです。
幸せな歳のとり方。
2010.07.15 | 日常
「体と心が喜ぶ声」は五歳の頃に戻って•••
「先生のレッスンには最初戸惑いました」
というお言葉をよく皆さんからいただきます。
それは、私がよく
「今、どんな風に感じましたか?」とか
「この歌を○○さんはどのように歌いたいんですか?」とか
英語でいえば「How〜?(どのように?)」という質問をするからです。
また、こんな風にも質問させていただくことがあります。
「どうして今、高い声が楽に出せたと思いますか?」
「どうしてこのフレーズはそう歌ってみたくなるんでしょうか?」と
英語でいえば「Why〜(どうして?)」という言葉をよく使わせていただきます。
すると、今まで周りの人から
「どんな風に感じる?」
「どんな風にしたい?」
「どうしてそうしたい?」
と尋ねられてこなかった方にとっては
非常に答えにくい状況になるのですね。
「さて、じゃあ、どうしましょうか?」と
じっと目を見て相手に待たれてしまうと
「え?私どうしたらいいの?」と戸惑ってしまうのです。
でも実は、声にはこの
「どうしたいか?」「なぜそうしたいか?」
という自問こそがとても大切なのです。
人に何かを感じさせられる声には、あなたの意志が必要だからです。
先生の言う通りにやっていればいい、という感覚は
自分の体や心を相手に預けてしまっているようなもの。
「そもそも声を活かして何をしたかったか」というあなたの意志さえも
人任せにしてしまっているようなものです。
最初は難しいかもしれません、が
五歳の頃に戻ったような感覚で自分自身に問いかけてあげてください。
どうしたら楽しい?
どうしたら嬉しい?
どうして楽しいの?
どうして嬉しいの?
子供たちはこのような質問に答えるのに長い時間は必要ありません。
私たちも子供の頃は簡単だったはず。
自分の体や心が喜ぶことをしてあげてください。
ここを撫でて、ここをこうして。
そうしたら、私はとっても気持ちがいいから。
と自分が喜ぶほうへ連れて行ってあげるのです。
そうすればもちろん、あなたの声は自分を癒し、相手を癒し、
たくさんの人の心をも喜ばせることができるでしょう。
そう、五歳の頃に戻って•••です。
2010.07.03 | 声について想う
ホっとする声
昨夜、フクダスタジオの間所さんから
「○日にご飯でも食べながら打ち合わせしよう!」
とメールが入ったので
「了解です!よろしくお願いいたします!」
と返信したらすぐに電話をくれました。
「どう?元気にしてる?」
間所さんの声を聴くのは何ヶ月ぶりかで
別段気が張りつめていたわけではなかったのに
なんだかとってもホ〜ッとして
やっぱりちょっと肩に力が入っていたことに気づきました。
それほど離れているわけではないけれど
聴くととっても懐かしくて、あったかい声ってありません?
けっこう身近にあるのですよね。
思えば出会ってもう8年ほどになるでしょうか。
ずっと、ずっと私たちの音楽活動を支え、リードし見守ってくれています。
音楽を続けていくには、こういった力強い支援者が
いてくれるのといてくれないのとでは大きな違いがありますよ、ほんとに。
だれかが目をかけてくれるから踏ん張れる。
だれかが待ってくれているから今日も歩ける。
ちょうど昨日のお昼はレッスンの合間に
新曲をレコーディングしていたのです。
我ながら何年ぶりかにできた深い曲で
何度か歌ってみていても、あまりにも思い入れが強すぎて
いいテイクが録れずにいたのですが
この日、すごくいいテイクが録れたのです。
ああ、これだ!探していたのはこのトーンだ!って。
そんな日の夜の電話だったので、喜びもひとしおで
やっぱり、音楽家はタイミングがいいのか?とツッコミを入れるほど(笑)
私がなかなか自分の声を見出せないでいた頃、
間所さんが言ってくれた言葉を思い出しました。
「今までがんばってきたぶん、これはご褒美」
もう八方ふさがり、歌をやめようと自分勝手に思っていたとき、
間所さんと出会ったことこそがあのときの私へのご褒美でした。
そうなんです。
芸の神様がいるとしたら、がんばったぶんだけご褒美をくれる。
このご褒美がときどきもらえたとき、
自分を信ずる気持ちがお腹の底から沸き上がってくる。
今日もいつかのご褒美がもらえることは忘れて
ただ坦々と声を練っています。
いつもグッドタイミングにホッとする声をありがとうございます。
2010.06.14 | 声について想う
雨の日の音楽
今日は朝から雨が降っています。
自宅から教室までの車の中、坂本龍一氏のアルバム"out of noise"を聴いてきました。
雨の朝によく似合いました。
写真は母が買ってきてくれたバラです。
自宅の玄関に迎えたばかりのときは気品のある細い蕾ばかりでしたが、皆さんの温度が伝わる教室の中に置いて一日、あっという間に開きだしました。
しばらく私たちの心を美しい色と形で和ませてくれそうです。
花のエネルギーはほんとうに素晴らしいものですね。
歌にも花を題材にした詩が多くありますが
それだけたくさんの人の心に寄り添ってくれる存在だからでしょう。
今日も日本の中の兵庫県尼崎市の次屋2丁目の一角にある
たのしい音楽教室という小さな場所で
皆さんの奏でるピアノや声の音色が優しく響いていきます。
ちなみに南アフリカではブブゼラが響き渡っていますね(笑)。
音は人を癒したり、鼓舞したり、熱狂させたりします。
面白いですね。
2010.06.13 | 音楽のある生活
ココ•シャネルと屋根にはまったアゲハ蝶
ココ•シャネルの映画を続けざまに2本観ました。
1本目はオドレイ•トトゥ主演の「ココ•アヴァン•シャネル」、
そして、2本目にシャーリー•マクレーン主演の「ココ•シャネル」。
どちらかといえば、晩年に近いココ•シャネルが
自分の人生を回顧しながらストーリーが流れてゆく2本目のほうが好みです。
(やっぱり、自分自身アメリカかぶれしているのでしょうかね^^;)
復帰後に開かれたショーで、彼女のファッションを歓迎したアメリカ人と
バッシングしたヨーロッパ人の心情(第二次世界大戦時の彼女の言動への批判)が
最初から映画の中に反映されているのかもしれません。
どちらにしても、まだこの時代は女性の成功には
男性の権力、つまり資金が必要だったことはよくわかりました。
ココ•シャネルの名言はいろいろなところで紹介されていますが
私の耳に強く残ったのは、この台詞(シャーリー•マクレーン)です。
「過去を繰り返すよりも、挑戦して失敗したほうがまし。」
きっと、いえ、きっとではなく、ほんとうのことなのですが
今の私にいちばん必要な言葉でした。
過去を繰り返すよりも、挑戦して失敗したほうがまし。
そう、挑戦していくんだ!と。
先ほど外から帰って来て、自宅の駐車場に車を停めたとき
透明な車庫の屋根に、美しく輝く黒と緑色の羽を持ったアゲハ蝶を見ました。
アゲハ蝶は力強く羽ばたいていました。
ただ、その透明な壁に阻まれてどこにも飛んで行けないまま
その激しく羽ばたかせた羽を打つける音を響かせていました。
そのアゲハ蝶が、もしも声を持っているのなら
きっとこんな風に叫んでいたでしょう。
なんで?なんで?私はこんなに一生懸命に羽ばたいているのに
どうしてもっと空高くへ、いつものように飛んでゆけないの?
風に乗ってゆけないの?
私の目からも、その透明な壁は横にも縦にも彼女には広すぎて
何時間もそうして羽ばたくだけで、いつまでもどこにも行けないように見えました。
まるで、今の私みたい•••。
彼女は少し羽ばたくのを止めて、体力を温存する必要があるのです。
そして、よーく自分の置かれている状況を見つめる。
今の場所から見つめるのではなく、少し離れて、できるだけ離れて
大きく眺める必要があるのです。
そうすれば、休めた羽をどのように動かして
そこから抜け出せばいいのかがわかる。
ふと彼女を助けようかとも思いました。
細い枝を持って来て、私が彼女の近くにそれをかざせば
彼女はそこに留ってくれるかもしれないと。
でも、止めました。
あと数時間して、またここに戻って来よう。
きっと、あの蝶はどこかに飛んでいなくなっているはずと思いたかったのです。
さて、あれからちょうど数時間が経ちました。
今から車庫に出てみようと思います。
あの美しいアゲハ蝶が繰り返し羽ばたくのを止め
勇気を持って違う羽ばたき方をしたのなら、
そこにはもう彼女はいないはずだから。
どうか、もうどこかへ飛んで行っていなくなっていますように。
私に力を与えてくれますように。
2010.06.10 | 映画鑑賞
ほんとうの健康からほんとうの自分へ

やっと初夏らしくなってきましたね。
たくさんの鳥のさえずりが気持ちの良い午前です。
先日ご卒業された生徒さんから素敵なプレゼントをいただきました。
ある一定の時間、ご一緒にトレーニングさせていただいた仲間としてとても喜ばしい瞬間でした。
写真はいただいたお手紙と手作りのブックカバー、
(なんとほんとうに手作りなんですよ!感動です*^^*
チラッと写真に写っている上下に走る優しい茶色のテープはなんとアンティークなんだそうです)
普段は多くを語らない、語るときは自分の心の中からほんとうの感覚をゆっくりじっくり掬いだすような話し方をされる方が、手作りのプレゼントになると
これほど饒舌になられるとは嬉しい発見でした。
だって、ほんとうに彼女らしいのです。
最後のレッスンに着てこられた服も、手作りのブックカバーやお手紙、
それからそれを包んでいる封筒や留めているテープの色や素材も
ほんとうに彼女らしくて、私はとても幸せな気持ちになりました。
こうして自分自身を表現するって、ほんとうに素敵なことです。
レッスンの中では、自分のほんとうの気持ちを言葉にするのが
最初は戸惑われていたようですが、後になればなるほど
ほんとうの言葉がどんどん溢れてくる瞬間に立ち合うことできて
私もほんとうに嬉しく思います。
今日は「ほんとう」という言葉がよく出てきました。
それは改めて私が気づかされたこと。
「ほんとう」は「本物である」ということです。
最後のレッスンの後、名残り惜しそうに、でも目を輝かせて
たのしい音楽教室の木の扉から新しいスタートへ向けて旅立たれたその方が
決意表明のように残していってくれたメッセージはこのようなものです。
「どれかがひとつ欠けていても
(それは声だったり、心だったり、体ということですが)
ほんとうの健康ではないということがよくわかりました。
とにかく健康になりたいです。
ほんとうの健康になりたい。」
ほんとうの健康を手に入れること、
それが、ほんとうの自分を歩むということ。
すごくシンプルですごく深い。
私も毎日ほんとうの健康を目指し、維持し、
ほんとうの声や言葉、所作、心が伝わるよう精進してまいります♪
素敵なお言葉、ほんとうにありがとうございました^^
★こちらの生徒さんのもう少し詳しいメッセージは
こちらでご紹介しています → 生徒さんの声へ
2010.06.03 | 声について想う
ジャージファッション、極めてみよか?
たのしい音楽教室にお見えの方はもうご存知かと思いますが
最近の私はずぅーとナイキのジャージを着ています。
このジャージ、まったく同じものを2枚所有しているので
けっこうな割合で皆さんとお会いするときは
色も形も同じ、ジャージ姿です。
だから、きっと皆さんは
久佳乃さん、今日も同じジャージ•••とお思いの方もいらっしゃるでしょう。
たしかに今日も、色もデザインもサイズも同じジャージです(笑)
最近では学校の講義にも気楽なジャージで出かけるようになり、
体にも心にもらくちんなジャージを着て
電車や地下鉄の階段もスイスイと大股で歩いています。
同僚の先生方にも
「亘理先生、今日もやる気満々ですねぇ!」と笑顔で声をかけられ
「はい!今日も動きますよぉ!」と笑顔で応え、まるで体育の先生です。
通年どおりなら、そろそろ気候も暑くなってくるので
夏用に薄手のジャージを新調したいと思っているのですが、
はたして今のジャージほど愛用できるジャージに出会えるのかしら。
私もいい大人になりまして、愛用できるもの意外は
できるだけ手元に置きたくない••なんてそんな贅沢さを身につけてしまいました^^;
だから、どうしても素敵なジャージに出会いたい。。
ついさっき、ネットで「ジャージ ファッション」を検索してみる。
すると、ちゃんとそういうカテゴリがあるのだから
これは極めてみてもいいかも!とやる気を出すのでした。
上品で知的で癒し系、そんなジャージファッション、ありますか??
乞うご期待。
2010.05.28 | 日常
自分の言葉で話そう
あなたの生の言葉が聴きたい。
いつもそう思っています。
生の言葉って?
それは、あなたの体験からあなたが得た教訓や感動についてです。
それを聴くことができるのなら
私は何時間でも椅子に座っていられます。
本を読むこともそうです。
著者の体験が伴った小説や実用書はとても面白いものです。
だれかも言っていた抽象度の高い概念も
その人の体験が伴っていれば、それは
その人の言葉となって伝わってきます。
いつかもどこかで聴いた言葉が
ある日、その人から伝わってくるのです。
同じような体験をしたとか、
同じような境遇だったとか、
故郷が同じだとか、同年代だとか。
自分とつながっているものから新しい道が広がっていく。
だから、歴史的な偉い人たちが
どんなに素晴らしい言葉を残していても
私はあなたからそれをほんとうに学べるかもしれない。
ちゃんと自分の身になるものになるかもしれない。
自分の言葉で話してくれる人を私は歓迎します。
心からの感謝を持って。
私たちが過ごしているこの何気ない日常こそ、
だれかの宝となれる経験になるのです。
だれかの意見でも主張でもなく、
テレビの中でだれかが言っていたことでもなく、
私はあなたのほんとうの言葉が聴きたい。
さあ、自分の言葉で話をしよう。
2010.05.21 | 声について想う