久佳乃Blog

Salon de たのしい音楽教室の愉しみ方。

当教室と長年お付き合いいただいている方はご存知かと思いますが、
一年に一度、同じレッスンルームで音楽を学んできた仲間たちが集う発表会ライブ、
それが今年の2014年は「Salon de たのしい音楽教室」という名前に落ち着きました。
これはちょうど今回、ゲストとしてご出演いただく安井麻人さんのお人柄や
これまでのご活動、雰囲気をそのままお借りしようということになりまして、
Salon de という頭の後に教室の名前を並べてみたのです。

「de」というのは「〜の」という意味の前置詞で、フランス語で「ドゥ」、
スペイン語、ポルトガル語で「デ」と発音します。
そして、「Salon」といえば、もともとフランスで宮廷や貴族の邸宅を社交の場とした
談話室(応接室)のことをそう呼んだりしていたので、
「Salon de」というなら「サロン ドゥ」と読むのがふさわしいのかもしれませんが、
私たちは「サロン で たのしい音楽教室」とわざと日本語らしい響きで呼んでいます(笑)

また、最近はまっている内田樹さんの本から、倍音の話が出てきました。
倍音というのは音を奏でる演奏家にとってとても馴染みのある言葉だと思いますが、
特に声を楽器の音としている歌い手にとっては非常に身近なものでもあります。
私自身、いかにこの倍音を響かせられる楽器そのものになれるかを長い間、追求してきました。
一言でいえば、倍音を感じる状態、感じさせられる状態になるには、透明にならなければなりません。
そこで、内田樹先生のご講義から、『荘子』の「天籟(てんらい)」という言葉を教えていただきました。
次のようなものです。

『荘子』に「天籟」という言葉があります。古来、解釈の難しいとされた言葉ですが、僕はこれは倍音のことを言っているのではないかと思います。「天籟」というのは「天の奏でる音」のことです。『荘子』斉物論によると、子遊が南郭子綦(なんかくしき)という賢人に「天籟とは何のことか」と訊ねると、子綦はこう答えます。「夫れ万の不同を吹きて、其れをして己よりせしむ。みな、其れ自ら取れるなり。(さまざまの異なったものを吹いて、それぞれに固有の音を自己のうちから起こさせるもの、それが天籟である。万物が発するさまざまな音は、万物がみずから選び取ったものに他ならない)」
 倍音の定義として、これはきわめて適切なものです。「万の不同を吹く」というのは、まさに周波数の異なる無数の波動が干渉し合う音声的な環境のことを指しているように思えますし、「其れ自ら取れるなり」というのは、その音声的環境から自分が聴くべき音を人は自分で選ぶのであるということであるとすれば、これは倍音のこととしか思われません。

きっと古の人の集い、サロンの場でもたくさんの音が鳴り響いていたことでしょう。
人の笑い声、話し声、宮廷楽団の演奏するさまざまな楽器の音、
かちゃかちゃと手元のティーカップがソーサーに当たる音やスプーンで紅茶をかき混ぜる音、
絨毯の上を歩く衣擦れの音や装飾物が当たる音など、
あらゆるものが響く中でふと透明になったとき、
その環境から人は自分の聴きたい音を聴くという実際はたいへんに面白い体験です。

そこでいみじくも、後づけですが私は思いました。
「Salon de たのしい音楽教室」もそういった場になっているのだと。
みんなが集まって、それぞれの楽曲を演奏し、語り、ご飯を一緒に食べ、
一緒にお茶を飲みながら、同じ時間を共有する。
ひとりひとりが音を出し、だれかから音を受けとり、自分の出した音からの反響を聴きとる。
反響を聴きとると同時に、また音を出す。
そんな風に私たちは交流し、共鳴しているのですね。

天の奏でる音を一度でも耳にした人は、その面白さ、愉しみに夢中になります。
11月16日(日)に開かれる「Salon de たのしい音楽教室」で
私自身が聴きとる天の奏でる音を今から楽しみにしていますし、
みなさんにもぜひ天の奏でる音を聴く楽しみを知って、感じていただきたいと思っています。♪**

さて、たのしい音楽教室では、音楽を通して声のパフォーマンスを身につけていくレッスンをしています。声のパフォーマンスは、身体的パフォーマンスと精神的パフォーマンスのレッスンが欠かせません。だから、生活自体が面白くなる!スポーツや仕事、趣味といろいろなことに役に立つエッセンスが満載です!♪**

体験レッスンのお申し込み、お問い合わせは
こちらからどうぞ。お気軽にお問い合わせくださいませ!

2014.10.31 | 音楽のある生活

読書はたのしい!

ここ最近ずっと、内田樹さんの本を読んでいます。
市立図書館が館内の蔵書点検をするときは、いつもの倍、期間を長く本を借りられるんです。
そこで、たくさんある内田樹さんの本でまだ読んでないものを手当たり次第、
借りられるだけ借りてきて毎日熟々(じゅくじゅく)と読んでいるわけです。
※熟々(じゅくじゅく)というのは造語ですが、内田さんの本を読むときはぴったりの表現なので使っています。

と今、ブログを書いていて思いますが、ずっとその方の本を読んでいると
その方の口調(文章体)になってきますね。
歌を習うときもそうですが、呼吸が乗り移ってくる。
ちょっと、そんな感じがしながら書いています。

それで、今お話をするのも内田樹さん節ともいえる素敵な思考ではなく、なぜか森の話です(笑)
本当はもっと内田樹さんの本から感じることをいろいろと書いてみたいのですが、
うっかりレッスンがあることを忘れて急いでこちらに向かっている生徒さんの到着を
待っている間に書けるほどの時間ではとても足りません。
だから今は、こんな合間でも書けるようなことを書いてみようと書き始めてみたのですが、
さて、書き終わるのが早いか、生徒さんがお見えになるのが早いか...。

とにかく先へ進めますと、内田樹さんが言ってくださることは、
すーっと頭に入ってくることが本当に多いです。
たとえば、日本は国土に対する森林面積が67%で、これは先進国最高なんです。って。
イギリスなんて森林面積7%で、フランスが27%、アメリカも23%、中国が18%、
ヨーロッパは緑が多いという印象がありますけれど、あれはほとんど畑ですから
森はほとんど残ってないんですよ。というお話です。

そこで思い出すのは故郷のことです。
高校時代の同級生が、長野県の伊那谷というところで、
森の座というNPO特定非営利活動法人を運営しているのですが、
ホームページを見ると彼の言葉がこう綴られています。

森林を次世代へ継承していく作業は、とても一代では成し得ません。
今は止まっているように見える森林が、動き続けているような仕掛けに取り組み続けたい。

今は止まっているように見える森林という言葉に、私ははっとさせられました。
くり返しになりますが、日本の国土に対しての森林面積は、先進国最高なのです。
これって、とても胸の張れることですよね。
私たちは自分たちでも気づかないうちに、たくさんの森と一緒に生きていて、
気づかないうちに多くの豊かな緑に囲まれた環境で暮らしているのです。
そしてその森から受けている恩恵もよくは知らないまま、
どのようにしてその森が維持されているのかも知りません。

なにごとにもきっかけというものがありますが、今日の午後の読書で、少なくとも私は
日本の豊かな自然に思いを馳せ、故郷と同級生の活動を思い出し、
自分にもなにかできることがあるのではないかと考えさせられるのです。
考えはきっと考えだけに留まらず、いつかどこかへ私を運ぶことでしょう。
まずはゆっくり時間をとって、家族と話をしてみたいと思います。
来年、地元で開かれる厄年会に出席する際には、伊那谷の森の伝承人を訪ねて
森の声に耳を澄ましてみるのがいいかなあと思っています。

行動を促される本に出会うっていいですね。
やっぱり、読書はたのしい!です。

あ、そう言っている間に生徒さんが息を切らしてお見えになりました!
おかげで良い時間をいただきました。ブログも書けましたし(笑)


さて、たのしい音楽教室では、音楽を通して声のパフォーマンスを身につけていくレッスンをしています。声のパフォーマンスは、身体的パフォーマンスと精神的パフォーマンスのレッスンが欠かせません。だから、生活自体が面白くなる!スポーツや仕事、趣味といろいろなことに役に立つエッセンスが満載です!♪**

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2014.10.23 | 読書

歌で自信はついてくる!

根拠のない自信って、ありませんか?
なんとなくいける気がする、うまくいく気がする、そんな、なんとなくの自信です。
たしか、スガシカオさんもデビューされる前のエピソードで、
「根拠のない自信があった」と言っていたのを聞いたことがあります。

こうした根拠のない自信は、はたして私たちに
どういった影響をもたらしているでしょうか?

きっと、だれでも一度は、根拠のない自信を
感じたことがあるのかなあと思うのですが、どうでしょうか?

正直なところ、私はけっこう頻繁にあって、
自分でもちょっと自信過剰かなと自覚しています(苦笑)
以前は(若き時代は)、自信満々な自分というのを隠すということは
していなかったように思うのですが、いつの間にか(社会に出てみたら)、
なんとなくそういった自分は隠したほうがいいのかな...
といった気になることがだんだん増えきて、
いつの間にか自分のことを、それほどでもないものです、というような態度をとったり、
口にしたりするようになっていた時期がありました。

今になってわかるのですが、それはだれにとってもあまり良くないことです。

それほどでもないものです、私は、というような態度と口ぶりは、
度を過ぎると、そのうち本当に自分をそんな気分にさせて、
なんとなくうまくいく気がしていた自分をどこか遠くへ遠ざけ、
なんとなくうまくいかない気がいつもしている自分を
身近に感じさせる効果があるように思えます。

なかには本当に度を過ぎて自信過剰な人もいますが、
度を過ぎて自信のない人よりも可愛気があります(笑)
何事も良い塩梅がいい、身の程を知るということも踏まえたうえで、
根拠のない自信、なんとなくの自信、うまくいく気がするという気持ちは、
だれもがそれなりに持っていたほうがみんなが幸せになれると思います。

だれでも、なんとなく幸運な人と一緒にいたいものです。
身ぶり口ぶりが自分をその気にさせるなら、
身ぶり口ぶりでみんなを幸せにするほうがいいと思いませんか?

身ぶり口ぶりは、いろいろなところで、自分がしようと思えば練習できることです。
いつもの生活の中ではちょっとそれはやりにくいなあ、と思う方には、
ダンスや歌をうたうこと、楽器を演奏することや演技をすることなどをお薦めします。
思いきり身ぶり口ぶりができる環境、むしろそれを歓迎される世界の中でなら、
みんなを幸せにするパフォーマンスをのびのびと練習して、学んでいくことができるからです。

さて、たのしい音楽教室では、音楽を通して"身ぶり、口ぶり、そしてわたし"を学びながら、
自信がついてくるパフォーマンスを身につけていくレッスンをしています。

けっこう本格的な自己表現プロセスの学習が人気ですよ。

体験レッスンのお申し込み、お問い合わせは
こちらからどうぞ。

お気軽にお問い合わせくださいませ(^_^)v

2014.10.16 | 音楽のある生活

歌うことの意味。

私たち人間の歴史とともに、歌はどこの地方にもありました。
季節にも関係なく、場所にも関係なく、人種にも関係なく、私たちは歌を歌ってきました。
まったく歌うということをしない民族もいたのでしょうか?またはいるのでしょうか?
人類学の先生にお尋ねしてみたいところです。

ともあれ、人は歌う生き物です。

縁あって、私もずっと歌を歌ってきました。
特にこの10年は、歌うということをいろいろな側面から見てきました。
歌うために必要な身体的機能、歌うために必要な精神的構造、意識、
そして、なぜ、私は歌うのかということ。

人間だから、なぜ?と自分に問いたくなります。
なぜ?と問うことなく、無心にそれだけを行い続ける人を私は心から尊敬します。
その高みへのぼるためには、時間をかけて、なぜ?に答え、
時間をかけて忘れていくことです。
忘れるためにはまず、覚えなければなりません。
覚えていないものは忘れられません。

やっと、私はなぜ、歌うのか?を覚えられるようになったことに、
私は喜びを隠しきれません。
野田体操の野田先生は、「体操は祈りだ」とおっしゃいました。
その意味が、今ならはっきりと私にもわかることができます。

なぜ、歌うのか? 私は今、厄除けのために歌っています(笑)

歌うという行為そのものが、実はお祓いだったんですね。
お祓いの前には禊が必要で、声の稽古はそれだったんんだ...という。
なんとも、愉快な発見です。

ボイストレーニングは声の禊だ!なんて言ったら、仲間の皆さんたちはなんと仰ることか...。


さて、たのしい音楽教室では、音楽から学ぶ暮らしの知恵を今日も研究しています。
自分を知りたい方、身体的機能をひらきたい方、精神的構造をひらきたい方、自由に歌って周りを明るくしたい方、何かありそうだなあとワクワクしたら、体験レッスンに一度、お見えになってみてください。お会いできるのを楽しみにしております!♪**

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2014.10.09 | 癒し癒され


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